ドリフェスが終わったら、自分はもう曲も聞けなくなると思っていた
ドリフェス!が終わった。 正直終了時に自分がどうなるか予測できなかった。 大好きなものは沢山ある。 でもいつだって、「いつかは終わる」そう思っている。
アニメや漫画は最終回があるし、ゲームはクリアした瞬間が終わる時だ。終わったら寂しいけど、ずっと好きだけど、でもいつか他の好きなものに埋もれていく。
そんな私が納得出来ない別れを経験したのは、1997年。大好きなXJAPANの解散だった。辛かった。月のおこづかいが3000円の子供にはラストライブなんて夢のまた夢。だから地上派でやったライブの放送と紅白を録画した。
紅白。ガラガラに枯れた大好きな人の声。笑ってないHIDEちゃん。 紅白は見ないで消した。 録画したラストライブは見返さない内にテープにカビが生えて捨てた。
HIDEが逝ってしまって、カラオケでXJAPANの歌が歌えなくなった。 私は彼らを好きな気持ちを封印した。
評判の悪かったToshIのソロに行くなと、HIDEファンや他のバンドのファンの子達に忠告された時、 「行かない。もう興味ないの」 そう告げた。
けれど捨てられなかったRusty NailのCDが、誰かが出てるとテレビを消した行動が、再結成の時の週刊誌の見出しを忘れられない事が、私の嘘を何より物語ってた。
そして2015の紅白。たまたま出掛けていて、帰ってからの年越し。録画した紅白は少しでも大晦日を味わいたかったからだ。
流れたXJAPANの映像に愕然とした。 YOSHIKIがあんなに優しい顔でTOSHIを見ている。PATAもHEATHも楽しそう。SUGIZOがいる!? 何度も何度も紅白を見返した。彼らの今までを調べた。
帰ってきてくれたのが嬉しくて、彼がいないのが寂しくて、生きていてくれる事が幸せで。私は声をあげて泣いた。
さて、話をドリフェスに戻そう。 上記の経験から、私は自分はドリフェスを封印するのだろうなと考えていた。 私はドリフェスが終わった理由を知らない。推測はあくまで推測だ。けれどアニメ好きの友人に「アプリ課金が足りなかったのだろう」「円盤それしか売れてないんじゃ仕方ないね」などと言われた事が悔しかった。彼女にどんなに「私は金出した。円盤を買った」と言ったって無意味なのだ。
その悔しさを免罪符にたくさんのドリフェスグッズを買った。普段は買わない系統のグッズも沢山買った。買わないといっても欲しくなかったわけじゃなかったから、社会人としてはあまり使わない様なグッズも買ってしまった。けれど心の何処かでは終った時このグッズは仕舞われてしまうのかな。と他人事の様に考えていた。
私はCDもブルーレイも見れなくなっていった。ソロのCDも買ったし、予習して武道館に臨みたい。その思いはあったが、怖くて聞けなかった。結局聞いたのは武道館の前日だ。怖かった。怖くてたまらなかった。
コラボがきっかけで大好きになったてっぺんさんにもAOYAGIさんにも行けなくなるのかなと思った。
それでも武道館に行く日、私は友人達に
「見届けてくる!」
そうLINEした。
「行ってらっしゃい!」
友人達が口々に背中を押してくれる。途中でアンケート調査の人に声をかけられたけど、
「急いでるんで」
そう言った声が余りに深刻で、自分で笑ったと道中で報告した私に
「仕方ないよ」
と友人達は優しく言ってくれた。
戸谷公人君からドリフェスに入り、アニメで圭吾に興味を抱き、アプリが大好きになった。
多分どれかが欠けていても、私はここまでドリフェス!にのめり込まなかった。その集大成としての武道館。きっと泣き崩れるだろうと思った。実際、私は泣いた。笑わなきゃと思いながら泣いた。すっごい楽しいライブの、その瞬間に。終わってしまうと、そう頭をかすめる事実に。気を抜くと崩れ落ちそうになる。
それでも彼らのパフォーマンスは私を、沢山のファン達を笑顔にさせてくれた。このまま時が止まって欲しいと何度も思う、そんな幸せなライブだった。
でもその時間にも終わりが来る。公ちゃんの挨拶で耐えられなかった。郁君の挨拶で我慢が出来ず、首にかけたタオルで顔を覆った。皆凄いと思った。誇らしいと思った。
思いっきり泣かせてほしい、忘れるから、もう忘れるから。そう思っていた。
それなのに涙が引っ込んだのは、壮馬くんの言葉だった。
そっか。私達は勝ったんだ。
私達はドリフェスなんだ。
私達が生きている限り、ドリフェスは無くならない。
ストンと落ちた。
XJAPANの時、私は好きだった自分を否定する事で自分を守った。そうでなければ耐えられなかったからだ。あれは悲劇だった。
けれどドリフェスは、そんな事しなくて良いと、好きなままで良いんだと思えた。
行く前は泣きはらし、悲痛な面持ちで武道館を後にすると思っていた。
けれど私は幸せな気持ちで家路についた。勿論とても寂しいけれど、私はドリフェス!のファンである事が誇らしかった。
翌日、キャラクターのツイートが止まる。
一人ずつ。
圭吾の最後の一言に、涙が溢れた。“僕”として、プリンスとして最後の言葉を言ったあの子が愛しかった。ここ最近、ずっと支離滅裂なLINEで迷惑をかけている友人達にまたメッセージを送った。
『こんなん、泣くわバカ。』
そして最後。日付の変わる2秒前。奏の最後の言葉に少しだけ泣いた。そして次の日の朝、また友人達にLINEする。
『うちのセンター、すごくない?』
キャラクター7人、キャスト7人、関係者の方々、そして私達ファン。
皆それぞれの日常がこれから続いていく。その先に、奏達が言ってくれたようにまた会える日があるのだろう。
武道館の後、一番聞きたくなった曲は『ETERNAL BONES』。一度は封印するかもしれないと思ったドリフェスの曲を、今私は毎日聞いてる。
一番涙腺が刺激されるのは『真夏色ダイヤリー』を思い出した瞬間だったりする。タオルとセットになっているからかな。アプリがやりたいな。
そして、沢山増えたドリフェスグッズをどうするか悩みながら、また会える時に恥ずかしくないように、精いっぱいドリフェスを好きでいたい。
そして。きっと物凄く興味がないのに、ずっとラインで付き合ってくれた、今度アニカフェにもカラ鉄にも付き合ってくれる友人達。そんな友人達がいてくれて本当に嬉しい。心配いっぱいさせてしまったけれど、でもドリフェス!に出会えて、私は彼らの優しさにも沢山触れた。気付かせてくれて有難うと言いたい。
ドリフェス!は駆け足過ぎる
4月1日に実装されたラストボイスを聞いて、思わず書いている。
聞いた瞬間に
(もうドリフェス!のチームは3月でほぼ解散したのかしら。新年度から其々が別プロジェクトに関わるようになって、終わる直前にボイス変更が難しいから、だからこのタイミングでのこのボイスなのかしら。)
と勘ぐってしまったのは、ある種の現実逃避だろう。
ただそう考えてしまう程、ドリフェス!は様々なタイミングが微妙にずれていたと思う。
まず"応援プロジェクト"と言うのなら、約2年半というのは短すぎると思う。
人が一つの事に熱中し、飽きるまで約3年と言われている。それよりも短い年月である。
無論水面下で動いていた時間を加味すれば、もっとずっと長期間だったのだろうが、私達がプロジェクトを知ったのは表に出てきてからの時間だけだ。
興味を持った。
好きになった。
じゃあ全速力で応援を!
そう思った瞬間に梯子を外された。
だからこそ多くのファンが納得がいかずにいるのではないか。
それにアニメ化のタイミングも早かった。
正直ドリフェス!は棒読みが一番ネックだったと思う。
私の友人にアニメ全般が好きな人間がいる。大抵どんなアニメでも一回は視聴する。
ドリフェス!にはまった時、私は彼女に見た事があるか聞いてみた。見てくれていたら語りたいと思った。
だが彼女の言葉は辛辣だった。
『あー。凄い棒読みアニメだよね。予告で切ったわ。』
本編にたどり着きすらしなかったのだ。
これは衝撃だった。
でも今なら彼女の言を理解出来る。世の中には同クールで面白いアニメが量産されている。その全てを見るには時間が足りない。ならば何処かで取捨選択をするしかない。
彼女をはじめ、アニメが好きな人というのは上手い声優の演技を聞きなれている。美味しい料理を食べて舌が肥えた人を美食家というけれど、彼らは上手い声の演技を聞きなれた、謂わば聞く側のプロである。棒読みには耐えられまい。
無論棒読みでも視聴される作品というのは多々ある。
例えば元々ファンが多い作品のアニメ化であったり、ワイドショー等でお茶の間でも話題になったアニメ映画だったり。
ゴールデンタイムに放映される子供向けアニメも棒読みが敬遠されにくい。
つまり棒読みが許容されるのは
・知名度がある
もしくは
・視聴対象者がアニメファンではない
こんな場合だ。
だがドリフェス!はどうだ。
元々の知名度は正直そこまで高くない。その状態で夜に放送されるアニメなのだから、対象者はアニメファンであるべきだ。
でも実際は、アプリで演技をしていたとは言え、ネタにされる程の棒読みだった。
アニメ化のタイミングが早すぎたのだと思う。
アプリで日々レベルを上げていた俳優の方々の、今の演技を見れば、本当に早すぎたと言いたい。
今は上手いからこそ、ラストボイスが辛い。
一度そっぽを向かれれば、例え二期をやっても見てもらえる確率はグンと低くなる。
ならば、例えばニコニコなど、ある程度粗削りの部分があっても、それをネタとして受け入れられる媒体での一挙放送など、やり方はあった。
ニコニコに関していえば、一期の時点で要望を見た記憶がある。
だが結局実現されないまま、ここまで来てしまった。
件の友人は我が家で上映会をしたところ、はまりはしなかったが爆笑していた。今ではコラボに一緒に行ってくれる。彼女を見ていると、ニコニコは机上の空論では無いと確信しているのだが。
矢張ドリフェス!は駆け足過ぎる。
ファンですら置いてかれるなら、ファンでは無い人はのる事すら出来ない。
ストーリーもキャラも良いのだ。
タイミングが本当に悔やしい。
ドリフェス!の事がいつの間にか本当に好きになっていた話
ドリフェス!が終わってしまう。
一旦という言い方だけれど終わってしまう。
だから、今、自分が思っている事を書いておきたいなと思う。
私は元々、戸谷公人さんの緩いファンだった。
ファンと言っても彼の代表作である仮面ライダーも見ていない。たまにきみラボを観たり、評判の良かった劇やハンサムライブのDVDを買ったり、テレビに出たら録画して見返したり。
そんな私だが、結構早い段階で戸谷さんが風間圭吾の役をやる事を知った記憶がある。
正直、興味がなかった。
圭吾の決め台詞を見て(即位だったかプリンセスだったかは、もうよく覚えてない)『こいつはキザなナルシストに違いない』と思って、そのままスルーしてしまった。
そんなドリフェス!がアニメになった。
録画はしたけど観てなかった。多分そのまま観ないで終るんだろうなぁと思っていた。
ある時(あ、今ドリフェス!やってんだっけ)とふと思ってテレビを付けた。一回くらいは流し見でもしようと思った。それが偶々7話だった。
キザなナルシストと思った子が、いじめられて殴られていた。私の頭の中は疑問符で一杯になった。理解が追い付かなくて1話から全部見始めた。
面白い!!
それが率直な感想だった。そして風間圭吾は私が思っていたようなスカした奴じゃなくて、根はとても良い子なんだと知った。というか悪い奴がいないのだ。もっともっと彼らの事が知りたくなった。
ところが当時の私はガラケー。やりたくてもアプリがやれない。
家族のスマホを借りて、アプリをインストールさせてもらった。毎日2時間だけやらせてもらった。
楽しい!曲が良い!
何よりストーリーを課金しなくても見れるのが嬉しかった。最近はコンシューマーですら後日談が有料配信ってのがあったりするから。
7人全員が横ばいになるようにレベルを上げた。
全員大好きだったけれど、マイルームは圭吾仕様になった。
アニメの2期は先行配信で見た。
2話を見た後は圭吾が可哀想で1週間イライラモヤモヤして、3話を見た後KUROFUNEがもっと好きになった。圭吾が誰かに必要とされたのが本当に嬉しかった。(正直、いじめられている高校生を一人暮らしさせている時点で、圭吾の親には不信感がある。これから先、もし圭吾の家族の話が出てきて滅茶苦茶良い人だとしても、これに関しては許せないと思う。)
もうこの時点で、私は圭吾の事を親戚のおばさんの様な立ち位置で応援していた。
友人達にも布教したけれど、残念ながら皆、嵌まってはくれなかった。だけど一緒にスイパラのコラボやクロスドリームツアー、ラーメンと色々付き合ってくれた。
友人との旅行にポータブルDVDプレイヤーと1期のDVDを持って行き、一緒に見たりもした。
本当に楽しかった!
DMM VR THEATERにも行って、ステージの上にいる彼らに本当に感動した。
自分用のスマホを手に入れて、毎日時間の許す限り、楽曲を遊んだ。本当に沢山の曲があって、単純に遊びとしても楽しかった。
戸谷さんの緩いファンだった私ではなく、ドリフェス!に一生懸命になってるオタクの私がそこにはいた。
そんなドリフェス!が終わってしまう。
いつかは終わると心の何処かで覚悟していた。
だって戸谷さんのファンとしては、このプロジェクトの先へ行って欲しい気持ちが確かにあるから。ドリフェス!はおそらく物凄く大変なプロジェクトだ。アテレコ、歌、そしてダンス。ライブも想定されている以上、どれかをお座なりにする訳にはいかないだろう。かなり時間をとられているであろう現状、7人の今後を考えると、いつまでも彼らを縛り付けていてはいけないという気持ちが常にあった。
だけど、でも、いざ終わると言われた3月5日。
会社で知った私は、ただいつもと同じように働いた。
友人から大丈夫かってラインが来たけど、上記の覚悟があったからか、驚く程平気だった。配信も見た。普通だった。
次の日だった。
昨日の仕事で今までした事ないミスをしていた。そのミスを修正して、倉庫に荷物を持って行った瞬間、どうしようもなく寂しくなった。もう圭吾に、7人に会えなくなると思った。
毎日友人達に愚痴を言った。それでも寂しくて寂しくて、だけど終わる前にとつバクはどうしても 開けたい!と今は毎日必至でプレイしている。
そんな中思ったのはたった一つ。
「声が付かなくても良い。曲も1年に一回くらい新曲が出れば良い。ずっと続いてほしい。」
最初に戸谷さんからドリフェス!に触れた人間として、有り得ない考えだった。戸谷さんの声だから圭吾が好きなんじゃない。風間圭吾だから好きになっていた。そしてそれは勇人も奏も純哉も慎もいつきも千弦も同じ。大好きだった。
それに気付くのが本当に遅かったけれど、それに気付いた瞬間だった。
せめてTwitterは続いてくれるだろうか。一旦というならまた会えるのだろうか。寂しい、寂しくてたまらない。いつの間にこんなに好きになっていたのか。親戚のおばさんの様な気持ちで応援していたけれど、おばさんじゃないから、これから先の貴方達の成長を傍で見れないのが本当に寂しい。
だけど、でも、ドリフェス!は本当に面白いコンテンツだと胸を張って言える。戸谷さんがこのプロジェクトに関わってくれて良かった。
纏まりがない文章になっちゃったけど、今はただドリフェス!が大好きだと、それを形に残しておきたい。